ベテランになる覚悟の話→思春期こころのいる場所―精神科外来から見えるもの
今日は何度も読み直している本の紹介です。著者は若者専門の精神科医の青木省三先生。
若者支援に携わる人や、精神科の方にこの本を読んで欲しいのはもちろんですが、
僕はこの本からベテランになる覚悟を一番気付かされました。
組織や企業に就職や転職した際は、経験が少ないことや若いこともあって、仕事に対して受動的な態度でも可愛がられてきたと思います。ですが、やがて後輩ができたり、部下を持つことになります。誰もがベテランに生まれ変わる瞬間が来ます。だけど、なかなかその心の切り替え方までは教えてもらえません。
僕はこの本からその切り替え方の一つのヒントをもらった気がしています。以下に引用するエチオピアの民話のがそれです。
【書籍名】思春期こころのいる場所―精神科外来から見えるもの
【著者】青木 省三
【出版社】岩波書店 (1996/5/24)
(P.100-P.101より引用)
※日本評論社から2016年版も発売されている模様。
エチオピアの古い民話に、青年とそれを支える人の関係について、とても示唆に富む話がある。 あるとき、アルハという貧しい若者がハプトムという金持ちと賭けをする。 スルタ山の一番高い峰の上で、はだかで一晩中、立っていられたら畑をやるという賭けである。 アルハは、ものしり爺さんに相談した。そうすると爺さんは次のように答えた。 「手伝ってやろうかの。スルタ山から谷を隔てて反対側に、昼間ならよく見える高い岩があるからな。 あしたの晩になったら、そうさな、お日様が沈んだら、その岩の上で火を燃やしてやろう。 お前の立ってるところから、その火がよく見えるはずじゃ。おまえは一晩中、わしの燃やす火を見とるんじゃよ。目をつぶったらあかん。 目をつぶったらお前は暗闇に包まれてしまうからの。火を見つめながら、あったかい火のことを考えるんじゃ。 それから、そこに座って、お前のために火を燃やし続ける、このわしがいることを考えるんじゃ。 そうすればの、夜風がどんなに冷たかろうが、おまえは大丈夫だ。」(『山の上の火』クーランダー、レスロー、岩波書店) そしてアルハは遠くでちかちかしている火を見つめながら、一晩裸で山のいただきに立つことが出来たのである。 ・・・この遠くの山で火をたくというところがいい。人と人の間には、そもそも深い谷があるものなのだ。人は一人で生まれてきて、一人で死んでいく。自分の力で生きていかなければならないし、決してその青年の代わりに誰かが生きてあげることもできない。 親に守られていた状態からいつの日か青年は覚悟をして一人で山の上に立つことが必要になる。 その時、周りの人にできることは、心配しながら励ましながら見ていることだけである。 ただその思いやきもちが人を助けるのも真実である。遠くの山の火の暖かさは決して青年に伝わりはしないが、山の上で火を燃やす人の暖かい思いや祈りは伝わるのである。 そして、それが青年を支えるのだ。どのような技術や知識があったとしても、 この思いや祈りがなければ、人が人を支えることはできないと私は思う。 ベテランになるということは、このような爺さんになる覚悟をすることである。
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引用終わり。
僕はこの本を読んでハッとしました。日々、後輩や部下と接するときに、もの知り爺さんのように、暖かい気持ちで見守ることはできているだろうか?部下や後輩から相談を受けた際に超絶技巧なスキルや、とてもロジカルなアドバイスが出来なかったとしても 、思いや祈りを持って接することはできるのではないか?ということです。
”祈り”や”思い”が大事だ、と医療従事者である、
場が持つ力、主体者が気付く大切さ、常に忘れずに日々を過ごしたいものです。
それではまた!